雨の日に考えたこと。
心待ちにしていた休日も、こう雨ばかりでは気分も落ち込んでくる。
それでも無為に過ごしてしまうのもったいないので、最近なんだかたるみ気味な自分自身を奮起させるために、なんの脈絡もないけれど『これまで僕はどんな人のことを好きになってきて、どんな人のことを尊敬しているのか』を考えてみた。
ご飯を食べるとき、誰もみていない場所でも「いただきます」と言える人のことが好きです。
周囲に流されず、共感を強要するのでもなく、自分の意見を素直に言える人のことが好きです。
人の悩みを一刀両断して、解決した気にはならない人を尊敬します。
こうして書き出してみると、ひとつひとつは、当たり前のことだ。
だけどその当たり前を、当たり前にする為にはどれほどの葛藤があったのだろう。
立派な人たちが立派なのは、心の奥では冷や汗をかきながらでも、少しずつ自分の「当たり前」を増やしてきたからだ。
そしてそれこそが、人間の成長なんじゃないか。
そうだ、やっと気がついた。
「優しさ」を目に見えるものにするのなら、それはきっと「ふるまい」ということになるのかもしれない。優しさとは、難しいふるまいを、当たり前のようにやってみせることなのだ。
個人的な話になってしまうけれど、僕は真実を共有することだけが、優しさだと思っていた節がある。どうやらその考えを、変えるべき時期がやってきたのかも知れない。
せっかくの休日は雨だったけれど、雨の日には気がつくことも多い。古くからは晴耕雨読とか言ったりするし。外に出られないのは、そこが良いところなのかもしれないな。
雨、あめ、飴。
自分にとって大事だと思えることを、口の中の飴玉を舐めるように確かめていると、なんだかやる気が出てくる気がします。
おしまい。