歓談夜話

あなたにとって、うまくいかない日があっても大丈夫です。下には下がいて、例えばそれは僕のことです。

向田邦子展に行ってきた。

 

 一度も会ったことがないのに、僕はその人の事をよく知った気でいる。本の中で想定していたよりも少しだけ高かった彼女の声は、雨の中展覧会へ足を運んだ客を持て成すように迎え入れていた。

 2021年は、向田邦子が亡くなってから40年が立つ年である。そんな折の節目に、彼女についての展覧会が開催されることになった。脚本家を目指す上でかの人から多大な影響を受けた僕は、この機会を逃すわけにはいくまいと、はるばる都会へ繰り出した。

 展覧会のあった青山という街は向田邦子が多くの時間を過ごした場所であり、"庭のように慣れ親しんだところ"なのだそうだ。表参道駅出口からすぐの場所にある会場のスパイラルガーデンは、その中でも特に都会的だった。案内をしてくれる人は皆、未来人みたいなポンチョ(あるいはワンピース)を身につけていた。不定形なデザインで溢れたお洒落なそのギャラリーについて、本人が見たらなんて言うだろうな、などと勝手に考えたりしていた。きっと貧乏性の自分には身に余ると口で言いはしても、美的センスに優れた内心では、結構喜んでいたりするのかもしれない。

 ともかく、展覧会には、最終日だということもあるのか、沢山の人が訪れていた。入場待ちの列は建物の外にまで続いている。そして、並んでいた人は、その多くが女性だった。向田邦子という存在が現代に至るまでどのようなアイコンであったのかということを改めて考え、僕は洒脱なギャラリーの扉を開いた。

 今回の展示は作品の生原稿や、生前大切にしていた食器や洋服などが中心だった。往年のファンにとっては彼女の生活の息遣いが聞こえてくるようであり、ノスタルジーを感じさせるものだったに違いない。ファンとしては新参者である自分自身も、エッセイの中で登場した食器や愛猫カリカについての原稿を見た時には浮き足立ってしまった。大切にしていたという万年筆を見て、同じ道具を使うことが出来るだけの立派な作家になるぞと意気込んでみたりした。

 多くの思い出の品々が並んでいたその中で、僕にとって最も印象的だったのは、一枚の写真である。ギャラリーに入ってすぐのところにあったそれは、実際に本人がアフリカで撮ったものらしい。エッセイにあったベルギーのお祭りの様子を写したものや、自画自賛したであろう技巧的な構図のナマケモノの写真などがあるなかで、それでも一番好きだったのは、サバンナの雄大な景色と共に大きな欠伸をしている一匹のライオンの写真だった。展示では凛々しい姿でシャッターに収まっているライオンの写真が他にも幾つかあったのだけれど、その中の一枚だけが、気の抜けたような欠伸のそれだった。

 僕はその写真の中に、向田邦子が作品を作りだす中で見出そうとしていたものを感じ取った。あの丁寧な仕方で、人間模様を描く過程で探していたのは、きっとこのライオンの欠伸の様な、愛すべきひとつの仕草だったのかもしれない、と。

 現代アートの延長にあるような空間で、昭和の名作の生原稿を見る。それは、没後40年が経っても、多くの人を魅了し続ける向田邦子にしか出来ないことなのだろう。

 変わっていく時代の中で、変わらないままの人間のエゴと優しさ……今回の展覧会で僕が受け取ったのは、そういった当たり前のものを見守り続けなさいという、脚本家の大先輩としての重要な忠告と、人生の大先輩としての温かな励ましなのである。

 

おしまい。