傷つかないで済むように。
大人に片足を突っ込んだ年齢になって、ようやくわかったことがある。
生きるのって、かなりつまらない。
だからといって、童心に帰れば解決するのかといえば、そんなに単純な話でもない。
お酒の味も女の人の肌の味も、知らなかった世界に戻ることは、凡俗な僕にはもうできなくなっている。
新鮮な刺激を求めて、さほど興味もないのに、身近な人間を詮索したかと思えば、自分の悪口がささやかれていそうなら、傷つく前に撤退する。
自分の知っている世界が、自分の知っているままに動いてほしいと思う。
知らない世界に飛び立ちたいと思っていたはずの自分が、いつからこんなことを考えるようになってしまったのだろう。
きっと、自分に自信があるとかないとか、そんな話ではないのだ。
技巧的な人付き合いだけが、自分の知らない間にうまくなっていく。
本当に、知らない間に。
小学生の時、俺の人生はいつから間違えた方向に進んでしまったのか、などというオジサンの言っていることが、よくわからなかった。
間違えたら直せばいいじゃん。と、親に守られた存在は嘯いていたのである。
けれど、現世で四半世紀以上を過ごしてみると、本当にちょっとずつの間違いが、わずかに、けれど確実に、僕の理想からほど遠い方向へと導いていた。
自分の知らない自分、それも唾を吐きかけたくなるような作り笑いをした自分が、知らぬ間に僕の人生を大手を振って歩いていたのだ。
「宙船」という中島みゆきの作詞した歌詞、有名なものだけれど、「お前が消えて喜ぶものにお前ノールを任せるな」という部分。
今も大いに共感できるけれど、本当に自分のオールを任せてはいけないのは、空虚な作り笑いを浮かべた自分自身なんじゃないか。
それじゃあ、本当の自分ってなんだろう。
きっとそれは、「自分の中の最も弱く、最も醜い自分」だと思う。
競争に敗れ、蔑まれ、馬鹿にされるような自分のことだ。
嫉妬し、怒り、すきあらば自己憐憫に浸る僕のことだ。
傷つかないで済むように、プライドが守られるように、上手に生きることは、間違いだ。
これは断言する。
日和見主義で他人に流されやすい僕の、唯一の主張だ。
人生はつまらないものだ。元からそうだ。動かしようはない。神様も死んだ。
この現代社会に生きて楽しいと思う人間など、資本主義社会の甘言に騙されているだけのめくらでしかない。
それでも、この苦しみを隅々まで味わい尽くし、自分が成し遂げたいと思うことに対して足を引っ張ってくる他人、仲良しこよしを強いる道徳を踏み越えることができれば、きっとこの生は誰のものでもない、自分自身の手によって形作られていく。
つまらない人生を歩む、他ならぬあなたへ。
僕は先に行きます。
おしまい。