歓談夜話

あなたにとって、うまくいかない日があっても大丈夫です。下には下がいて、例えばそれは僕のことです。

ハムスターを食べる。

 

 去年の夏のある日、連日の台風の影響による野菜の値上がりに怒った父が、地元のホームセンターでトマトの苗木とナスの種を買ってきた。自宅の庭を開墾して家庭菜園をはじめると言うのである。

 30度近い気温の中、現在55歳になる父が、北海道を舞台にしたホームドラマで出てきそうな大きな鍬を使って庭を耕している。タオルを首に巻きつつのツナギ姿が妙に板についていて面白かった。僕はクーラーの効いたリビングでガリガリくんを食べながらその景色を眺めていた。

 ビギナーズラックなのか父の天賦の才能なのかはわからないけれど、その植えた作物達は一夏をかけて大いに成長し、ツクツクボウシの声が聞こえなくなってくる季節の終わり頃には、わずか2畳程の庭で育ったとは思えないほどの収穫が我が家にもたらされた。

 いずれの野菜も表皮がパリッとして瑞々しい。育ち盛りの高校生である下2人の弟たちは、我先にと手を伸ばし、よく洗いもしないで食べている。普段は父に無関心の母も、この時ばかりは、家計の節約に役立ったと言って現金にも喜んでいた。ただ一人僕だけは、その野菜を好んで食べるということはしなかった。

 まだ小学生の頃だから、10年以上前のことになるだろう。シェイクという名前のジャンガリアンハムスターを実家で飼っていたことがある。彼はとある不慮の事故で急死してしまったのだが、その責任は僕にあった。普段飼っているケージを掃除している最中に、直射日光の当たる場所に仮の住まいを置きっぱなしにしてしまったのである。日陰もなく、ガラスでできた仮住まいは短時間で室温が上昇したに違いない。目を離した僅か10分の間にハムスターは熱中症になり、呼吸をしなくなっていた。

 そして、赤紫色をした茄子が植わっていたその畝こそ、僕がシェイクを埋葬した場所だったのである。

 動物を飼うのは、我が家では珍しいことだったので、シェイクはそれなりの寵愛を受けていたように思う。わざとではないにしろ1つの命を奪ったという罪悪感は、小学生の身にもしっかりと感じ取ることができた。愛すべき小家族の急逝に両親は無言を貫き、弟たちは泣いていた。過ちはひとつでも、それを謝りに行くべきところは沢山生まれてしまうのだということを僕はこのことから学んだ。

 そんな事があったので、僕は庭で採れた野菜を食べる気がしなかった。正直な気持ちを書けば、『怖かった』のである。殺した家族を間接的にしろ栄養にすることもそうだし、その土にはシェイク怨みのようなものが込められているような気もしたし、なにより墓のことを覚えていたのは僕だけだったのだ。

 「亡くなった人も、誰かの胸の中に生きている」だなんて、映画なんかではよく見るセリフである。

 

 シェイクは2度死んだ。一度は僕が殺したが、もう一度は……。

 

 おしまい。