歓談夜話

あなたにとって、うまくいかない日があっても大丈夫です。下には下がいて、例えばそれは僕のことです。

チキンカツと言う名の試練。

 

最近、それこそ徒然なるままに過ごす日々の中で、僕自身これはいいなぁと思ったものを、写真に残しておくようにしようと思いながら生きている。

 

 というのも、感性豊か?だったティーンエイジがどんどん遠のいていくこの生活にあって、写真を撮るという意識づけでもしないと、物事への興味関心が持てなくなってきてしまっているということを、ここ数年で何度も痛感しているからである。

 

 この前なんかは、高校生の弟に『金木犀の香りがしてくると、学校の周辺がいつにも増して落ち着いた雰囲気になる。部活のランニングメニューもいつもより少し心地よかった』などと言われ、その時の僕はといえば最近なんか甘ったるい臭いがするくらいの感想しか抱いていなかったから、あぁこれは金木犀なのかと自分で気がつくまでにこれまでの3倍の時間はかかってしまったような気がする。 

 

 なんというか、文壇に彗星の如く現れた俵万智的新進気鋭の俳人詩人、もしくは一眼専用のインスタアカウントを持っている下北沢あたりの若い人達の好奇心が、羨ましい限りなのである。 

 

 そうして意気込んだはいいものの、マァ肝心の生活写真の被写体はといえば、いちいちSNSにあげるまでもないような些細なものばかりで大変恐縮なのだが。

 

 さて、そんな中、先日撮った写真はといえば、僕の長年の友人であるS君の住む町、原木中山には古き良き大衆食堂があって、そこで撮影したものである。

 

 そこは昼時になると、周辺の工事現場や会社で働く男たちがぞろぞろと這い出してきて、賑わう。

 

食堂にたどり着いた時、僕達は前日に大酒を飲んでいて、宿酔いでフラフラだったのだが

 

『宿酔いで気持ちはワリィが腹は減った、こんな時にこそ食うべきメニューがあるのだ』

 

と言って、S君はこの食堂のとっておきのメニューを紹介してくれた。

 

そして僕はホイホイとそれに従ったが、それが大きな間違いであった。

 

これが、その定食の写真である。

 

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その名も チキンカツ定食 980円。 

 

写真では少し見えづらくなっているかもしれないが、なんとこのチキンカツ定食、大人の手ほどもあるサイズのカツが、5枚もある。

 

僕はフードファイターか何かか。

 

この日の胃腸が通常通りの営業であればいざ知らず、(いや、それでもこの枚数はきつい)大量の焼酎とレモンサワーでささくれ立ったその朝である。

 

無理に決まってんだろ。

 

ちなみに、彼が注文した定食は秋刀魚定食で、大根おろしを添えた、脂ののった一尾の(ここ大事)旬の秋刀魚が、美味そうに皿の上に横たわっていた。

 

そっちにすればよかった。

 

どうやら、僕はS君に謀られたらしい、そうして彼に目を向けると、まるでドッキリがうまく行ったと言わんばかりの満面の笑みであった。

 

コイツぁ確信犯である。このいたずらっ子め。

 

しかし、ここで音をあげて仕舞えばS君の思うツボであり、僕は勇んでそのチキンカツに挑むことにした。

 

一口サイズに切るといった無粋なことはせず、チキンカツにソースを浸すほどかけ、白米に着地させてから、あぐりと一口。サクッという小気味のよい音がして、衣と鳥肉の間からだろうか、何処からともなく旨味をたっぷりと含んだ脂が、口の中で広がっていく。

 

はじめの一口を食べたこの時点で、僕はあることを、いや、この定食を食べたことのある全ての人が感じたであろうことを、思い浮かべた。

 

これならイケる、と。

 

心なしか、胃の調子も、脂でコーティングされたからか、良くなった気もしてきた。

 

『や、これなら完食余裕だわ』

 

と、僕はうそぶいたのだが、そしてその後、その調子に乗った面は、二度と拝めなくなってしまったのは言うまでもないことである。

 

なにせ、食っても食っても減らない。

 

美味しかったのは最初の1枚と次の半分ままでで、その後は噛む回数と残りの体力、胃のキャパシティを計算しながら、味わうというよりかは「何かに試されている」と形容したほうが正しいといった具合であった。

 

そう、これはまるで何かの試練…ゼウスによってヘラクレスに課されたのが12の試練であるのならば、これは間違いなく、チキンカツ5枚の試練と言えた。おぉ、神よ。

 

そして、2枚を食べ終えた時、1枚を泣く泣くS君に引き取って貰ったのだが、ついに身体は限界を迎えた。ギブアップ、もう食べられません。

 

せっかく満腹になったにもかかわらず、僕がしょげた顔をしていると、店の奥の方から食堂のおばちゃんがやってきて、ほんとすいません、調子乗りました、責任取って皿洗いでもなんでもします、と心の中で手を合わせていると、おばちゃんは優しい顔で『はい、これ』と言って何かを差し出してくれた。

 

それは、プラスチックの容器とビニール袋に輪ゴム、スーパーの店屋物売り場などでよく見る三点セットであった。

 

『うちのカツ多かったでしょう、これで持ち帰っていいから、ゆっくり食べてね』

 

仏か、おばちゃん。

 

勝手に、某お残しは許しまへんでー!系のおばちゃんだと思っていて、すいませんでした。

 

やはり信ずるは仏に限る、ゼウスも少しはこの懐の深さを見習うべきである。

 

そうして、僕のフードファイトは静かに幕を下ろしたのであった。

 

まったく、初めから全てわかっていましたよといった顔のS君には一瞥をくれてやりました。

 

膨れあがった腹が、秋の涼しい風に当たると、どこからともなく金木犀の香りがして、揚げ物のせいですっかり足取りの重くなってしまった僕たちも、その甘い匂いに包まれたのを思い出す。

 

『甘いものは別腹だな』とS君は言って、僕は流石にキツイわなどと応酬しながら、再び帰路に着いたのでありましたとさ。

 

おしまい。