だったら目を閉じて音楽でも聴いてます。
寺山修司の本を読んだ。
ブックオフの百円コーナーに挟まっているのを見つけた『家出のすすめ』。
うーむ。
書評を書きたいわけではないので細かいことは割愛(というか、正直言って大した感想は抱かなかったというのが本音)するけれど
なんというか、屈折した人だよね。寺山修司って。
たしかに、端々の分析や批評に、感受性があって頭の良い人なのだなぁという印象を受ける。
サザエさんの性生活についての評論は興味深い指摘が多かったし、ユーモアもあって、もし自分が現代国語の先生だったら、評論を書くお手本にしてみたらどうだろうなんて言ってしまいかねない。
(バレたら一体何を教えているんだとPTAに袋叩きにされそうではあるけれど)
ただ時折、彼の主張の中に呪術めいたというか、私怨のようなものを感じることがあって、それが僕にとっては相当に味が濃かったというか、『別にそこまで拘らなくても良くないか』と思うことは結構あった。
特に彼の親や田舎への葛藤というのは、共感する以上に、なにかドロドロとした『文学の毒』のようなものに犯されてしまいそうな気分になる。
時代も時代で、彼の書き物がよく読まれていた時にはきっともっと若者にエネルギーがあって、毒を薬に変えるほどの熱意や夢が存在していたのかもしれないけれど、情報社会のせいで覚めたフリをすることを強いられている現代の若者にとしては、その熱に当てられて、なんだか斜に構えて読んでしまうようなところもあって、昔の人のようには素直に影響され辛いなぁという感じがした。
もちろん、『自分の主張』を持てという示唆は、今の時代にだって十分通用するもので、SNSで消費行動をひけらかすことが自分の主張の代わりのようになっている現状を彼がみたら、どういう風に指摘するのかも気になる。
寺山修司のことを当時の多くの人が抱えていたであろう、消化不良のような淀みのようなけたたましいまでの鬱憤を、代弁してくれている『師匠』的立ち位置の人だと捉えて、文脈を分断し一方的な正義感からエキセントリックな主張をするツイッターなどでよく見かける現代の諸先生方と比較してみるきっかけになるのであれば、今回の本は意外と面白いと言えなくもないのかもしれない。(すげー曖昧な表現になってしまった)
まぁ結局、読み終わって茹で上がった頭を冷やすために目を閉じて聴いていた『I Got rhythm』が、寺山修司と比べてすっと心に染み込んできたから、僕が一番好きなのは、人間的な拘りや生への執着よりも、誰もが楽しめるようなポップでキャッチーなものなのかもしれない。
凄い人の数段、精神の作りが単純な自分に幻滅しつつ、それはそれで仕方ないと開き直って、僕はやっぱり『パリのアメリカ人』のような作品を作りたいなぁと熱意を新たにするのでした。
おしまい。