歓談夜話

あなたにとって、うまくいかない日があっても大丈夫です。下には下がいて、例えばそれは僕のことです。

長年の友達が、社会人になった途端年収の話しかしなくなった。

 

長年の友人Kが、社会人になった途端、年収の話しかしなくなった。

 

別にそのことについて、良いとか悪いとかを、判断をしようとは思わない。

 

お金は大事だ。

 

好きなものを買えるし、自分の生活を、自分でつくっていける。

 

ただ、2人で牛タンを食べていたら、そのKのやろーが、お金の話ばかりするから、なんだか札束を噛んでいるような気がしてきて、ぜんぜん美味しくなかったことを今でも根に持っているだけである。

 

Kの価値観からすると、人間の価値は年収で決まるらしい。

 

やっぱりその考え方自体は別にどうでもいいのだけれど、自分の人生への態度を、そうも簡単に決めてしまっているKの姿は、あまり好ましいものではない気がした。

 

試しに、苦労して起業し、少しずつ成功を収めて今も努力している、とある他の友人(Kとも知り合いである)の話をしてみた。

 

すると、案の定、Kは

 

『で、彼はいくら稼いでるの?』

 

と、こんな調子である。

 

起業したその友達の苦労のあれこれを、少しだけだけれど知っている僕は、流石にやりきれない気持ちになった。

 

少し前までは好きなアイドルの話や、バイト先の気になる女の子の話をしていたというのに、Kの変わりようといったらない。

 

社会や組織に属すると、みんなこうなってしまうのだろうか。(もちろん、その中で一生懸命頑張っている人の方が多いことはわかっているけれど)

 

居職で滑稽話ばかりを書いている僕にとって、それはまるで慣れない世界である。

 

つまりは、アイデンティティの問題なのだ。

 

生きるうえで感じる不安や焦燥感は、お金でごまかすことはできても、無くす方はできないと思う。

 

そもそも人生に意味なんてないだろという話は置いておいて、置いておいたうえで、人生の意味なんて人それぞれである。

 

繰り返しになるけれど、Kの価値観について、他人の価値観について、とやかく言う資格は僕にはない。

 

もしかしたら誰かの影響を受けて、一時的にそうなっているだけなのかもしれないし(Kは最近、某ホストの本を熟読していた)。

 

とにかく、僕が言いたいのは

 

友人にするなら、一緒に牛タンを美味しく食べられるひとがいい

 

ということだけである。

 

ちなみに、起業した方の友達は、UFOキャッチャーにハマっては「五百円でルフィとれた!」とかいって連絡をくれるし、牛タンは美味いです。

 

おしまい。