歓談夜話

あなたにとって、うまくいかない日があっても大丈夫です。下には下がいて、例えばそれは僕のことです。

トトロを探して

 

家に篭りきりの生活をこれほどまでに続けていると、心地良い春の夜も少しずつただの生温い寝苦しいものになってくる。

 僕は寝不足と運動不足の両方を解消するために、不要不急の夜散歩に出かけた。

 散歩と言っても、最寄り駅から川沿いの道を15分ほど歩いていくだけのシンプルなものである。

 僕はその道を、川を越えた先にあるゲーセンに通う為、毎日のように利用していた。中学生のときから今日に至るまで長期間に渡って使っているのだから(それだけゲーセンで怠けていたということの証でもあるけれど)その赤いコンクリートで舗装された道は、目を瞑りながらだって歩くことができる。まさしく地元のカントリーロードである。

 とはいえ、それもいつも通っている昼間の時間帯の話。午前0時を過ぎて進む明かりのない道は、もうそろそろアラサーになろうという元純朴可憐美少年の僕にとっても、なかなか不気味なものだった。

 暗闇の中を、唐突に川へ飛び込むカルガモにむかって年甲斐もなく切れたり、風に乗ってカサカサと足に絡まってくる枯れ葉にビビり散らしながら進んでいく。

 そろそろなんか飛び出してくるんじゃないかと内心コンマ2ミリほど怯えながら歩いていると、道程の折り返し付近で、不意に川沿いの家並の奥からひと筋の光が差してくる。

 青と白と緑色をした看板が、その光源である。

 それは、街中じゃ飽きるほど目にしたはずなのに、夜中の心細い気持ちで見るとやけに頼り甲斐がありそうなフ●ミマの看板だった。

 僕はこの闇に浮かぶコンビニの看板を見た時の、妙な安心感を独自に「真夜中のコンビニ効果」と呼んでいる。この効果は意中の女性に好意を抱かせる方法においては吊橋効果に匹敵する可能性を秘めていると踏んでいるのだが、まだ一度も使ったことはありません。

 用もないのにコンビニに入りたくなったら、それが散歩の終わり時である。

 僕は入り口付近でバイクに跨りながらたむろしているYankee供に会釈をして入店すると、中を意味もなくうろうろする。なんだろう、外で見たときはあんなに憧れた明るい店内も、来てみればただの便利な場所でしかなかった(当たり前だ)。

 僕はこれを、またも独自に『真夜中のコンビニ効果2』と呼んでいて、成田離婚に匹敵するくらい世間に普遍な『期待外れ』の感覚であると踏んでいるのだが、僕以外にこの話をしている人を見たことがないのが奇妙である。

 本当に用もなくやって来たので、特別買うものもない。これはあくまで散歩の途中である。とはいえこのまま外に出るのもなんだか申し訳ないので(言わずもがな、僕はトイレを借りた時には必ず何か買って出てくるタイプの人間です)とりあえず当たり障りのない炭酸水あたりを購入して帰路に着く。

 パーカーの前の方のポケットでペットボトルが揺れて歩きにくい。

 大体、自宅から出て2分のところにロー●ンがあるのにどうしてこんな遠いところでこんな微妙に重たいものを買ってしまったのだろう。同じ帰り道なら家に近い方で買うのがいいに決まっているのに。

 ……そして僕はこれを、最早勝手に『真夜中のコンビニ効果3』と呼んでいて、取り敢えず社内恋愛で結婚したけど同期が後から合コンで出会った医者と結婚し、私は早まったんじゃないかと舌打ちしてしまうOLと同じくらい普遍的な後悔の感覚だと思っているのだが、これはまだ誰の理解も得られていないのである。

 


おしまい。  

 


追伸。

やっぱりシリーズものの3は蛇足になりがち。