歓談夜話

あなたにとって、うまくいかない日があっても大丈夫です。下には下がいて、例えばそれは僕のことです。

大丈夫にする。

 

 コロナウイルスへの対策として、本来避けるべきであるはずの「三密」を充分過ぎるほどに満たしている会議室の中で、今日も僕は、先輩やキャストの方々に『体調はいかがですか』なんてやっている。

 

 側から見たら愚かな行為を大真面目にこなしているだなんて、知らない間にコントにでも参加させられてしまっているのではないかという気さえしてくる。

 

 自分だけは関係がないと、全員が思っている。そんな国を挙げての滑稽を体現している最中に、『本物のコント』を作る人間の方が、黙って僕たちの前から姿を消してしまった。

          ◯

 不要不急と自粛の間で、「文化」という生き物が、目には見えない敵に命を脅かされている。

 「生活」を前に、「情熱」が消耗を強いられている。

 果たして誰かを楽しませたいという思いは、平穏な時の暇を消費する為に、当てにされていただけなのだろうか。

 

 こんな時、本来頼りにするべき存在は、肉や魚を配るのに腐心している。ひとには街に出るなと言いつけ、その結果映画館や劇場は、もぬけの殻になった。 

 彼らは何を根拠に、座り心地の良い椅子のある会議室に大人数で用もなく居座り、口を揃えて「金は出したくない」と駄々をこねているのか。

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 こんな中だからこそ、僕は、振り上げた拳を向ける先を間違えないようにしたいと思う。

 

 人が文化を見捨てたんじゃない。

 文化を支えるべき余剰が、間違ったところに分配されようとしていることと、その決定をしているものにこそ、問題があるのだ。

 

 良いように使われて蔑ろにされたと嘆く前に、自分にできることはまだあるのではないだろうかと考えることにしたほうが、自分の健康にとっても都合が良いし。

 

 残念ながら僕は現実的に必要とされる類の専門家ではないから、具体的な手立てに対して言えることは、常識の範囲を超えるものはなにもない。

 投げ槍になったり、進んで愚か者になろうとしない限り、人は敵にはならないのだから、良い距離感を保ちましょうとしか、言いようがない。無力。

 

 それでも、スケジュール帳の白紙を埋めるのは簡単なことではないけれど、まず僕ら自身の手で、文化を殺すようなことがあってはならないと思う。

 この情熱は、まだ消してはならないと思う。

 この騒ぎが去ったあと、誰かの為に発揮される文化というものの本当の力が、きっと必要になると、僕は信じている。

 

 4月1日。

 年度のはじまりにしては、少し暗い雨の日。

 僕は部屋にこもって明日のご飯の心配をしつつ、雌伏の時を過ごそうと決心する。

 ベッドの上から世界を変えようとする。

 せめて志だけは、誰かを楽しませたいと生き続けた、あの変なおじさんがやってきたみたいに。

 

おしまい。