歓談夜話

あなたにとって、うまくいかない日があっても大丈夫です。下には下がいて、例えばそれは僕のことです。

『小学一年生でアニメキャラにガチ恋した少年の末路』

小学一年生の頃のことである。

僕は、人生で初めて、ある女の子のことで頭と胸がいっぱいになっていた。僕が好きになったその女の子は、いつだって元気いっぱいで優しく、負けず嫌いな性格だった。どうやら彼女は、時折自分の飼っている生き物の技の美しさを競うコンテストに参加して、優勝したりもしているらしかった。その生き物たちもみな、彼女のことを信頼している様に見えた。はじめは、そんな彼女をみて、僕は素直にかっこいい、と思っていた。そしていつしか、その気持ちは憧れへと変わっていった。茶色い髪の毛に赤いスカーフが似合っていて、〜かも!という口癖が特徴的な彼女。いつでもポケナビを持った弟と一緒にいた彼女。人間離れした主人公と、その黄色い相棒と一緒に旅をしていた彼女。そう、その彼女とは、ポケットモンスターアドバンスジェネレーションに登場していたヒロインの、『ハルカ』ちゃん、その人なのである。何を隠そう僕の初恋の相手は、アニメの中のキャラクターだったのだ。絵空事と笑うなかれ。僕は大真面目だったのです。

話はここでは終わらず。

一方通行な初恋を経験した僕は、高校生一年生になった時、何気なくこの初恋の話を、友達にしたのである。これが失策であった。お昼休みに、何人かのグループで、お弁当を食べていた時のことだ。

『俺サァ〜、昔アニメのキャラクター本気で好きだった時あるんだよね』

ほんの軽口で言ったその言葉を聞いた時の奴らの顔と言ったら、それはもうドン引き以外の何物でもなかった。空いた口が塞がらず、おにぎりを落とすやつまでいる始末だった。そして誰が歌い出したのか、『勇気凛々元気溌剌興味津々意気揚々〜♪』というアドバンスジェネレーションのキャッチーなオープニングテーマから、その後高校生活3年間、僕のあだ名が『リンリン』になってしまったのは、本当に本当の話である。

アニメや、その登場人物を好きになるのは、悪いことでは無い。それは個人の自由だ。だがしかし、本気の恋となると話は別である。昨今、『推し』という言葉が出てきた。僕が高校生の時には、使われていなかった言葉だ。萌えだとか推しだとかが流行るのは、素直に好きと言えないオタクの悲しい性である。好きになっては、お終い。言葉にすれば消えちゃう関係。ふわふわり、ふわふわる。だから、推す。オタクの行動心理の本質を突いた素晴らしい言葉である。もう少し『推し』の出現が早ければ、僕は自分のことを『ハルカ推し』として、一介のオタクとして、認識することができたに違いない。たとえそこに恋心があったとしても、言葉によって定義付けられた新しい関係の中で、完結できたはずなのに。恥ずかしい由来のあだ名で高校生活を過ごすことは無かったのに。あぁ、全ては遠い過去のこと。なにもかもみな懐かしい。けれど、これは、光の中へ完結する物語。2次元に恋をした少年には背を向けサムズアップで別れを告げて。成人になった僕は、未だにオタクを続けている。