歓談夜話

あなたにとって、うまくいかない日があっても大丈夫です。下には下がいて、例えばそれは僕のことです。

大人のわがままに悩まされている人へ。

 昨日の夜は野球観戦に行ってきました。

 

結果は3-2でDeNAの負け。

 

まったく、タフな試合でしたねぇ。

 

相変わらず攻めきれないといいますか。

 

昨日のハイライトはといえば

 

試合前の大和のセレモニーと

 

レモンサワーを注いでくれた売り子のお姉さんの笑顔が可愛いかったことと

 

そのお姉さんに渡すための小銭を財布から取り出していたらワッと歓声が上がって、筒香の先制ホームランを見逃したこと。

 

そんなところですかね。

 

桑原のオーバーランと大山のタイムリーはばっちり見えたのにね。

 

※その後打線というにはあまりに繋がりを欠いた打線に業を煮やし、レモンサワーばかりを飲んでました。何回も急な階段上り下りさせてしまってごめんなさい。お姉さん本当にありがとう。

 

さて、昨日の反省会はここまでにするとして(トゥモローイズアナザーデイ、だ)。

 

つくづく、プロ野球選手は特別な存在だなぁと思うわけです。

 

考えてみれば、才能なんてものは、市井の人間が普通に生きていく上で、欠かすことのできない、絶対に必要なものではないわけで。

 

社内の飲み会の席で、普通のオッサンである上司が偉そうにできるのも、世の中で必要とされているものが、才能よりももっと他にあるからなのでしょう。

 

天から与えられしフィジカルな部分でのアドバンテージと、それを生かす運動神経。

 

これを才能と呼ばずして、なんと言おうか。

 

野球は競技であるが故に、頭脳と単純な努力だけで、身体的な問題を解決するのは中々難しいわけで、才能を欠いていては、戦うことすらできない非情な世界なのです。

 

そういう意味で、プロ野球選手は、己の限界を思い知らされながら、日々厳しい競争に晒されている。

 

しかし、だからこそ、自分自身の実力を証明するために、彼らはバックスクリーンへと豪快なホームランをかっ飛ばし、150キロを超える豪速球で凡百な僕らを唸らせてみせるのでしょう。

 

その結果、スーツ姿のまま下品なヤジを飛ばす男たちを束にしたところで、絶対に勝てっこない対価を得るのは、ある意味当然なのです。

 

大金と、僕らが夢みるプレーを実現してみせる身体能力。

 

これが、彼らを特別な存在にしている所以なのである。

 

とはいえ。

 

いくら憧れたところで、日々食っちゃ寝の僕のようないっぱんぴーぷるが、今からプロスポーツ選手になれるわけではないわけで。

 

馬術や射的なら一縷の望みはあるかもしれないけれど、僕がやったところで馬に後ろ足で蹴っ飛ばされて馬糞の山に頭から突っ込むか、人を殺すかのどちらかがオチですね。もっとも後者の場合、笑い話では済まされないだろうけれど。)

 

じゃあこの世界で生きるために、いったい何が必要だっていうんだろう。

 

学歴?コミュ力?資格?人脈?

 

まぁ、そんなにわかりやすいなら

みんな苦労しないよナァ。

 

全てが必要なのかもしれないし、身体的以外の才能があれば、全てが必要ないのかもしれません。

 

あるがままの心で生きようと願うから、人はまた傷ついていくんです。

 

僕だってそうなんだ〜♪

 

………。

 

思うに。

 

必要なものが、一体なんなのかは僕にはわからないけれど。

 

これだけはいらんやろ、ってものを、僕はひとつだけ知っていて

 

それは

 

『誠実さ』

 

だと思うのです。

 厳密にいうと

『相手が一方的に求めてきた、恣意的な誠実さ』

 です。

 

他人が自分に対して求めてきた『誠実』とはつまり

 

俺のやり方と違う考えや行動を起こすな。

 

とか

 

思い通りにしてほしい。

思い通りになってほしい。

 

という意味である場合が、圧倒的に多くて。

 

『もっと真剣に向き合えよ』

 

だとか

 

『誠実な対応をしろ』

 

だとか言われた時って

 

なにか関係の上で齟齬があった場合に、はじめに背いた人間の方に責任があるかように聞こえてきませんか?

 

僕は、上の立場の人間がこれらの言葉を用いるときには、

 

他人を自分の望み通りにしたいという、大人のわがまま

 

を覆い隠す都合のいい方便に聞こえてならないのです。

 

僕は、自分の応えるべきものは、常に自分の中にあると思っています。

 

誠実さとは、一方的に発信し続けるものであり、そしていわゆる誠実な関係というものは、その一方通行を、互いに投げかけあっている状態であると考えています。

 

かのイチローは、マスコミに対しては、斜に構えた姿を見せてきたけれど、常に野球に対しては真剣でした。

 

なぜなら、イチローが望む答えは、野球と向き合うイチローの中だけにあるからです。

 

自分が正しいと思うのならば、その自分に信じようと思います。

そして周りが認めるのは、常に自分に対して誠実な人なのです。

 

誰かの要求に応じて、存在しない『誠実な』自分を作り上げる必要は、どこにもありはしません。

 

もちろん、信じられる自分を作り上げる努力を続けることが大切なのは、いうまでもことないですが。

 

けれど、そこにプロ野球選手のように特別な才能が、必要でしょうか?

 

全員が全員、イチローにならなくてもいい。

 

それでも、十把一絡げの人間から一歩抜け出したいと望むならば

 

くだらん大人のわがままに付き合っている暇は、微塵もないのです。

 

自分を、殺すなよ。と。

 

とまぁ。

 

なにやらキャラに似合わない熱弁をふるってしまいました。

 

あー全く

 

喉が渇いて仕方がない。

 

おっ

 

お姉さーん!

 

レモンサワー、1つください!カットレモン多めにしてくれると嬉しいナァ

 

なんて、こんな台詞は

 

きっと大人のわがままとしちゃ

 

可愛いもんなのかも。

 

おしまい。

 

 

 

(※今日は勝った!どうだメッセンジャー!)