歓談夜話

あなたにとって、うまくいかない日があっても大丈夫です。下には下がいて、例えばそれは僕のことです。

自分がない。

 
人を心から嫌いになることができないでいる。
 
こだわりとか、主張とか、そういう言葉とは程遠い人生を歩んできたからなのだろうか。
 
僕には自分と言えるものがない。
だから、自分が嫌いな人もいない。
 
子供のころ。
僕は誰かの言われたとおりにばかりしていた。言うことを聞くのは簡単で、そのとおりに出来れば、多くの人はそれを褒めてくれた。
特別なことはできないけれど、それで事足りていたのだろう。
 
器の小さい僕は、満たされるのも容易いようだ。
 
やり遂げたいことなんて、特にない。

 

だから僕には、自分がない。
 
世界を動かしたり、誰かに影響を及ぼすような人が常々口にしている
「真剣に生きていれば、みんな誰かの悪者になる」
 
という言葉。
 
いまいちピンとこない。
 
だって、自分が生きていくなかで、悪者と言えるような人間には、出会ったことがないから。
 
僕にはあまり「出世欲」とか「物欲」がない。基本的に敵を作りたくない。
だから競争がすごく苦手。
勝負しなくちゃ真剣に生きちゃだめなのかなぁ、なんて考えてしまうくらいには。
 
みんな仲良く、Every body wins.
 
そんな都合よくはいかないか。
 
戦わない人間には正義も悪もないらしい。じゃあ、いったい僕は何者だ。
自分がない。自分がいない。
 
親切を裏切られたと感じた時はあるけれど。
でも、裏切られたその時はたいてい、「親切をし返してほしい」という期待が発端で始まったものだったことに後から気が付いて、むしろ反省してしまう。
 
ほかにも、不義理や自分勝手を押し付けられるような時も、怒ることができない。
 
だってもしその人と同じような状況に置かれていたら、自分勝手な行動を自分もしてしまっていた可能性のほうが高いから。
 
自ら排出してしまった迷惑を誰かに拾ってもらいながら、人は生きている。
 
たまたまその時拾う人が自分だっただけで、むしろ知らない間に拾ってもらった迷惑の数のほうが多いんじゃあないか、という気さえする。
 
だから僕は怒れない。
怒る自分がどこにもいない。

 

なのに、さ。
 
悲しいとか寂しいだとか、そういうときにばかり、自分の存在を、強く感じてしまうのは、どうしてなんだろう。
 

 

おしまい。